#38 ディケンズ 『クリスマス・キャロル』 ~忘れていただけ~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第38回目。クリスマスって、なんだろう。この時期ふと抱いた疑問に、昔読んだこの本が改めて答えてくれたような気がします。

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#38 ディケンズ 『クリスマス・キャロル』 ~忘れていただけ~

イギリスの小説家ディケンズCharles Dickens, 1812-70)の『クリスマス・キャロルA Christmas Carolは、クリスマスをテーマに扱った数多くの古典の中で最も有名な作品の一つです。有名な作品ほど、若い頃に一度読んだきり放置しているケースが僕的には多いのですが、やっぱり読み返すと印象が当時とちがいますね。にぎわいの少し落ち着いたアフタークリスマスに、いかがでしょうか。

出典:ディケンズ作/村岡花子 訳 『クリスマス・カロル』 新潮文庫, 平成7年第85刷

 

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主人公のスクルージという男は、金儲けしか頭にない、心の冷たい人間と言われていました。クリスマスの前夜、街は年に一度のよろこびに満ちていましたが、スクルージは薄給でこき使っている若い書記の仕事ぶりをいつものようにねちねちと監視しながら、寒くて陰気なオフィスで仕事をしていました。

金儲けにならないクリスマスなんぞ馬鹿げていると愚痴をこぼし、生活できない奴らは牢屋か救貧院へ行けばいいと言い放ち募金を拒否し、挙句の果てには、戸口にやってきてクリスマスの歌をうたおうとした男の子に向かってものさしを振り上げ威嚇する……何がそんなに気に入らないのか、スクルージ氏のクリスマス嫌いは計り知れません。

ケチで冷酷で人間嫌いのがりがり亡者スクルージ老人

と、新潮文庫の裏表紙にそこまで書いてある(笑)のですが、そのがりがり亡者がクリスマスイヴの夜に幽霊たちと出会い、自分とその周辺人物たちの過去と現在、そして未来の姿を垣間見せられ、このままではいかん、と性根を入れ替える――あらすじとしては、そんなところです。

けれども十数年のブランクを経て久々に読み返してみると、僕はこのスクルージ氏に対して少なからず共感を抱いてしまったのでした。

スクルージは行きつけの不景気な居酒屋でいつもの通りの不景気な食事を済まし、ありったけの新聞を読みつくしたあとは、銀行の通帳を出して眺めていたが、やがて我が住居へと寝に帰った。

(p.22)

一人暮らしの気難しさが表れているというか、この一文を読んだだけでも、どうも彼を憎む気にはなれないんですよね。僕自身も食費はかなり節約しますし、夜に帰宅する時間をだらだらと遅らせることもありますし、お金が増えるわけでもないのに通帳を穴が開くほど眺めるのもよくやります(笑)。

これは経済的な要因というよりも、むしろ一人で生活している人間特有の無意識のクセと言った方が近いかもしれなくて、つまりは生活全般の孤独なのです。クリスマスムードに浮き立つ人々に対して斜に構えて悪態をつくのも、寂しさの裏返しに他なりません。

物語の最後には、スクルージはクリスマスと人々を心から愛する人間に生まれ変わるのですが、彼は実際、物語のずいぶん早い段階(第二章「第一の幽霊」)でも、昔の職場の上司が自分にしてくれたささやかな親切に対する素直な感謝の気持ちをはっきりと思い出しています。

「あの人の力は言葉や顔付だけのものだったにしてもですよ、それが勘定にもはいらないような、小さな事柄の中にあった力だとしてもですね、あの人が私たちをしあわせにしようとしてくだすった苦労は、一財産投げ出してやってくだすったのと同じですよ」

(p.58-59)

スクルージさん、分かってるじゃないですか(笑)。分かっていても、人生の険しさや世の中の不条理から、ついつい心にもない悪態をついてしまう――彼はどこにでもいる、臆病で、打たれ弱くて、根は善良な人間だったのでしょうね。

一人の人間が「心を改める」というよりも、むしろ「心を開く」物語と捉える方が、この物語を再読する僕にはしっくり来ます。もしかしたら、がりがり亡者になりかけていた今の僕だからこそ辿り着いた答えだったりして(;’∀’)

僕は特定の信仰を持つ人間ではありませんが、クリスマスは、他人への感謝の気持ちを忘れない(思い出す)日なのかもしれないなと、ふと思いました。もちろん、クリスマスに限らず、常日頃からそうありたいとは思っているのですが、なかなかどうして(苦笑)。

何はともあれ、ディケンズ『クリスマス・キャロル』を是非とも読んでみてください。それから、今年も一年ありがとうございました(※思い出したように)。

こんなブログですが、今後もひっそりと、しぶとく続けてまいりますので、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます_(._.)_

それでは。

 


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#20 ゴールズワージー 『林檎の樹』 ~春の追憶~

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20回目。春にぴったりの物語をひとつ。心に添える一輪の花となりますように。

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#20 ゴールズワージー 『林檎の樹』 ~春の追憶~

今回はイギリスの小説家ゴールズワージーJohn Galsworthy, 1867-1933)の作品から『林檎の樹 (原題:The Apple Tree)をご紹介します。春という季節に繰り広げられる若い男女の恋、その甘く切ないフィーリングに自然の情景描写をふんだんに織り込んだ、味わい深い中編小説です。

出典:ゴールズワージー 著/渡辺万里 訳 『林檎の樹』 新潮文庫、平成17年第76刷

 

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舞台はイングランド南西部のデボン州、銀婚式(結婚25周年)を迎えたアシャースト夫妻が、荒原のはずれの田舎道を車で通りがかります。二人の思い出の地に向かうドライブの途中でした。

ひと休みするため車を停め、春の陽のふりそそぐ新緑の木立の中でおだやかなひとときを過ごす二人。幸福そのものに描かれる中年夫婦ですが、そこで夫のフランク・アシャーストは、ひとり妙に心が騒ぐのを感じています。

彼は今日、この銀婚式ともあろう日に、ふと、なにか切ない憧れにかられた――が、それが何にであるか解らなかった。

(p. 7)

こうして物語のメインとなる回想シーン、26年前の若きフランク・アシャーストの青春が語られるのです。

が、ここまで紹介文を書いていて僕自身、妙な胸騒ぎを覚えました。……というのもこの作品、部分的にでもあらすじを語ろうとすると急にネタバレを起こしてしまいそうで、なかなか難しいのです。

物語の続きは是非とも皆さんで読んでいただければと思いますので、あとは作品の内容にあまり触れない程度に、僕がこの物語を読んで思ったことについて書いておこうと思います。

さて、恋する女性の描写、というか女性の美しさそのものをどう表現するかということについて、『林檎の樹』のヒロインであるミーガン・デイヴィットという十七歳の少女は、まさに僕にとっての一つのお手本だったりします。

初登場のシーンでの彼女の描写は、意外にもファッションからはじまるのです。

風が彼女の脚に黒い羅紗のスカートをからませ、形のくずれた孔雀色の大黒帽をなぶった。着古した灰色のブラウスは少し綻びていたし、靴も破れていた。彼女の小さな両手は赤く荒れていて、首筋は日焼けして小麦色だった。

(p. 12)

これは単に粗末な衣服とか、化粧っ気のなさとか、そういう田舎娘の素朴な魅力を観念的に示しているのとはちがうと思います。ミーガンは農場で働く娘なので、自然と共に日々を生きている人間の証として、彼女の衣服は汚れ、手は荒れ、肌は日焼けをしているわけです。

そこに少しも人為的な装飾がなく、ありのままの姿で描かれる彼女こそが魅力的なんだと思います。

作者ゴールズワージーが自然の情景描写(花の香りとか、草木のざわめきとか、月の神秘的なひかりとか)をこれでもかと使ってミーガンの心身の美しさを際立たせる意図が、自分なりに分かるような気がします。

彼女こそ純真な自然の美しさそのままであり、あの生々した花のようにこの春の夜の一部だというのなら、どうしてその彼女の与えるすべてを奪わずにいられようか――

(p. 62)

彼女に恋する男にこうまで言わせるほど、自然の魅力をまとった女性とは美しいものなのでしょうか。

果てしなくロマンチック、それでいてどこか背徳的な情調も感じさせる……そんな春の恋の行方を追って、ゴールズワージー『林檎の樹』を、是非とも読んでみてください。

それでは、今日はこれにて失礼します。

 


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