#49 ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』 ~鼻は花より尊し~

「おすすめ文学 ~本たちとの出会い~」

第49回目。思いを寄せる相手のために、人はどれだけ己を犠牲にできるか。相思相愛の仲であれば、相手のために尽くすことなど、いとも容易い。いつの世だって、片思いに苦しむ人たちこそが本当の愛を知る。おじさんが語っても伝わらなければ、この作品を読んでいただくしかありますまい。

シラノ・ド・ベルジュラック (岩波文庫)
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#49 ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』 ~鼻は花より尊し~

最近だと2018年にも日本で上演された舞台作品『シラノ・ド・ベルジュラック』は、19世紀末のフランスで生まれた悲喜劇です。文武両道だがその容姿において鼻が大きいことがコンプレックスの男が、ひそかに思いを寄せる女性のために、彼女の恋する美男との仲を取り持つキューピッド役に “命をかけて” 徹する物語。報われない恋に生きるすべての人たちの永遠のバイブルといっても過言ではありません。

出典:エドモン・ロスタン作/辰野隆・鈴木信太郎訳 『シラノ・ド・ベルジュラック』 岩波文庫, 2012年, 第74刷

 

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学問の造詣深く、詩や音楽の才能に恵まれ、剣の腕もめっぽう立つ主人公シラノは、人一倍大きい鼻の持ち主。そのコンプレックスを隠すような彼の豪胆で無鉄砲な性格は、人々を楽しませ魅了する一方で、絶えず多くの敵を作ってしまいます。

コンプレックスが人生の大きな原動力になるというのはありますよね。シラノもまた、大きな鼻ゆえに画竜点睛を欠く生来の才人というよりは、むしろその生まれつきの悩みをバネにして多方面のスキルを開花させた努力の人のような気がします。

「万事万端、人にやんやと言わせることにきめた (p.66)と言って強がる彼ですが、やはり唯一のコンプレックスである鼻に関しては、どうしても吹っ切れない様子。こと恋愛となると、誰よりも奥手になってしまうのです。

俺が誰に恋するって?(・・・)何処へ行ったって、御本尊より十五分も前に届いているこの鼻じゃあなあ。

(p.67)

そんな彼が恋するのは、周囲の男たちをして「優美」「粋中の粋」と言わしめる美女ロクサアヌ。彼女はシラノの従妹なのですが、彼にとっては高嶺の花に変わりはなく、思いを打ち明けることもできないまま、あろうことか彼の所属する青年隊の新米部下クリスチャンから、ロクサアヌとの仲立ちを頼まれてしまうのです。

このクリスチャンという若者、容姿こそロクサアヌとお似合いの美男ですが、女性を口説くための詩的な話術などにはまったく疎い野暮天(よく言えば純朴な好青年)。決して悪い男ではないのですが、「中身」の奥深さではシラノに格段に劣るわけです。

ロクサアヌはロクサアヌで、クリスチャンと一目視線を交わしただけで彼に恋する始末。若者の恋愛のなんと浅墓なことかと失笑を禁じ得ませんが(笑)、それでもシラノはロクサアヌの恋の成就のために、自分の気持ちは押し殺して恋のキューピッド役を引き受けるのです。「華々しい弁舌が欲しい (p.133)と悩むクリスチャンに、シラノはこう請け合います。

俺が貸してやろう! 君は、心を惑わす美しい肉体を貸してくれ。そして二人一緒に、小説の主人公になろうじゃないか!

(p.133-4)

何だか、今どきの「なりすまし」恋愛みたいに思われるかもしれませんが、我らがシラノに他意などありません。クリスチャンのためにラブレターを代筆し、口説きの話術を惜しみなく伝授する――嘘で塗り固めた茶番劇のお膳立てにシラノは徹し、やがてクリスチャンはロクサアヌと結ばれるのです。

その後まもなくして、シラノとクリスチャンの所属する隊は戦場に赴くのですが、そこでもシラノの献身は続きます。隊が兵糧攻めに遭い疲弊している中、ひとり夜明け前に敵陣の包囲をかいくぐって、クリスチャンの名でロクサアヌに宛てた手紙を毎日投函しに出かけるのです。

この手紙の事実を知ったクリスチャンは、ロクサアヌに本当に愛されるべき人間は誰かということをようやく理解します。いっそ思いを打ち明けてしまえと説得するクリスチャンに対して、シラノはこう言い放ちます。

俺の面(つら)を見ろ!

(p.248)

明日死ぬかもしれないという状況で、容姿のコンプレックスなど既に問題ではないはず。ロクサアヌへの想いを打ち明けようと思えばできたはずなのに、若い美男美女の幸せを壊すまいと、かたくなに拒むシラノ。その覚悟は、クリスチャンが被弾し命を落としたその後までも、ずっと続くのです。……

シラノの秘めたる思いを、ロクサアヌはいつか知るときが来るのでしょうか。報われない恋は、本当に最後まで報われないものなのでしょうか。その答えは戦争から15年後の、物語のクライマックスにて語られますので、みなさん是非とも読んでみてください。

恋愛に限らずとも、「片思い」のような状況に身を置き人知れず苦しむことが、僕たちの人生には多々あります。あのシラノだって、親友の前で本心を打ち明けながら涙をこらえる場面がありました。

泣くものか!(・・・)俺が身の程を忘れぬ限りは、涙の神々しい美しさを、こんな卑しい醜い鼻で汚させるものか! ……ねえおい、涙より気高いものは無いのだ、無いのだぜ。この俺のために一滴の涙でも他人の笑草になって、嘲けられるなんて、そんな事をさせて堪るものか!……

(p.69-70)

安い同情をさそうような自虐的なものの言い方ではなく、己の苦悩に対する凛としたプライド、そして避けられぬ運命に対する詩的な礼節を、一見「芝居じみた」この台詞から、僕はひしひしと感じます。

……どうせ弱音を吐くなら、これくらいの心意気を見せてやろうぜ。

どんなに辛く、苦しいときも。

それでは、今回はこれにて。

 


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「鹽」、不足していませんか。

豪雨、そして猛暑。大変な状況が続いています。遅ればせながら、西日本豪雨にて被害に遭われた方々へ、心より御見舞い申し上げます。

標題の「鹽」という漢字、ご存知ですか(見づらかったらすみません、拡大してみてください)。

これは、炎天下の被災地で復旧作業に携わる方々、そしてこの暑い時期を乗り越えるすべての人たちにとって必要不可欠なもの――水分と同様に、適切に補給することを忘れてはいけないものです。

そう、「鹽」はソルト。「塩」の旧字体です。

フランスの作家シャルル=ルイ・フィリップの短編集『小さき町にて』に収録されている「箱車」という短編があるのですが、この岩波文庫の訳文、見慣れない漢字や旧字体のオンパレードで少し読みづらい反面、なかなか味があって良いのです。

たとえば、チーズは「乾酪」、お弁当は「お辨當」……ぱっと見て読めなくても、単漢字ごとの構成や意味、前後の流れから推測すると、意外と読めてくるものです。そんな中で、けっきょく辞書で調べるまで正しい読み方に辿り着けなかった漢字の一つが、先の「鹽(しお)」でした。

※僕の蔵書は2000年第28刷です。字体等について、下記のリクエスト復刊の中身は未確認です。

小さき町にて―フィリップ短篇集 (岩波文庫)
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収録短編の「箱車」は、木箱で作った車に乗った子どもたちが、自分たちの住む村から少しだけ遠くまで冒険するという話です。芥川龍之介の「トロッコ」に近い雰囲気があります。

作中、子どもたちが「お辨當」のパンと一緒に食べるものとして、「バタ」と「鹽」が出て来ました。「バタ」はもちろんバターです。しかし「鹽」は?

この漢字、よくよく見れば、「皿」の上に何やらごちゃごちゃ山盛りになっているから、ハムかサラミか、ひょっとしてフライドポテトか(笑)。なんて、こういう他愛もない(もとい有り得ない)想像も古典の醍醐味だったりします。

一方で、日々の忙しく大変な状況の中で、そもそも古典なんぞじっくり読んでいる気分じゃないという現実が、紹介する本人からして、むしろ余計に強く感じたりもします。

それでも僕は、自身の書いたものであれ、他人の書いたものであれ、ブンガクなくして、誰かの心にほんの少しでも寄り添える気がしないのも事実です。

いつか落ち着いたら、何かひとつでも読んでみてください。

苦しい時期を乗り越え、いつか誰かに、懐かしくて平和な思い出をゆっくりと語るその時に、古い物語の数々がきっと皆さんと共にある。そう願っています。

今後も、熱中症にはくれぐれも気をつけて、一日一日を乗り越えていきましょう。

それでは。