今年も残すところあとわずか。ようやく一息つけました。
とりあえず、飲みましょうか。
今年は、どんな一年でしたか。
いえ、どんな一年なんて、無理やりこの時期で区切ることもないですよね。
どこで区切りをつけるかは、人それぞれ。年の瀬だろうと何だろうと、誰かが何かの目標に向かって走り続けているのなら、その人は他のみんなと一緒に立ち止まることもないわけです。
その反面、ことあるごとに立ち止まりたくて仕方がなくなる時もある。僕だけじゃないはずです。
信じる生き方は、ある。でも、その周りに確固たる現実があって、そのまた周りに時代があって――視野を広げれば広げるだけ、ただでさえちっぽけな自分自身を見失う。
そうして本当の自分を見つめ直すために、あえて背伸びをして壁に挑み、よじのぼり、その先に見えてくる未知なる自分の姿――信じた可能性の分だけ幾重にも屈折した自身の姿を、万華鏡のようにのぞき込む。
故に、美しきかな、この世界(笑)。
複雑さを楽しもうとすれば、いくらかは救われるようです。みんな、この複雑さを楽しんでいるのかな。それならそれで、人のたくましさだと言い切った方が、むしろ希望が持てますからね。
イタリアの作家ブッツァーティの短編「神を見た犬」を、ふと思い出しました。

『七人の使者・神を見た犬 他十三篇 (岩波文庫)』
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神を信じない町の住民たちが、神の存在におびえるという奇妙な話。
本当は自堕落な生き方をしたいのに、信じる気もない神の罰におびえ続け、しかもそのことは互いにひた隠しに隠し、何食わぬ顔で生きている人間たちが描かれています。
こういうのって、すごく現代的だと思います。
でも、こんなふうにして幾重にも心に膜を張らなければ、人は生きていけないのかもしれませんね。
結局のところ、誰にも理解されない「かもしれない」、自分の中の核、本当の自分を守るために。
お酒をいただいている時は、それでもいくらかは素直になれるような気がしませんか?
特に一人で飲んでいる時にふとこぼれ落ちる一言が、何よりも真実味のある今の自分の有り様を言い得ている。
でもそれは、誰も聞いていないからこそ言えることだし、夜が明けて眠りから覚めれば、口にした本人もけろりと忘れている。
少し飲み過ぎて、グラスの周りに妖精が見えてきました。今日は、ぐだぐだ書かせていただきました。
それでも、節目で立ち止まり、世の中の喧騒のさなかで自分自身を静かに見つめ直していたい。そう思っている誰かのためにこんな文章を書いてみました、などと言ったなら、少しは喜んでいただけるものでしょうか。
酒の肴にもならんですか(笑)。
それは失礼いたしました。でもこれこそが、僕の書いているもの。これからも書き続けていきたいものですから、どうぞ悪しからず。
あとはもう、何も考えないで、ゆっくり休みましょう。あたたかくしてお過ごしください。
今年も一年、誠にありがとうございました。
それでは、また。



