ヴァシーリー・エロシェンコ ~憂い多きエスペラント~

3か月ほど前の記事で、「現代ウクライナ短編集」という本について、僕が読んだことのある唯一のウクライナ文学ということで皆さんにご紹介していたのですが、このことについて個人的に嬉しい発見とでも言いたくなるような訂正事項があり、今回書かせていただきます。

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ウクライナの短編小説を読んでみませんか

さて、僕自身まったく自覚していなかったのですが、この短編集に収録されている作品群の他にも、ウクライナ人、それも日本と非常に深いつながりのある人物によって書かれた作品を、以前に読んでいたのです。

そのことに気付かせてくれたのは、最近読んだこちらの本物語 ウクライナの歴史でした(今年2022年、改めて読んでみたという方も多いのではないでしょうか)。

物語ウクライナの歴史
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本書の第八章最終節にて、ウクライナと日本の様々な接点が紹介されているのですが、文学の分野では、ヴァシーリー・エロシェンコ(Vasilii Y. Eroshenko, 1890-1952)という「盲目の詩人」の名前が挙げられています。

エロシェンコの著作は以前から読んでいたのですが、僕の中では彼は詩人というより童話作家の印象が強く、またロシアの詩人とどこかに書いてあったのを記憶していたので、少し驚きました。彼がウクライナ人であることは、本書を読むまで知らなかったのです。

これを「嬉しい発見」と言うことについて、昨今の状況もあるので誤解がないように説明しておきます――今から十年ほど昔(2012年頃)、初めて「現代ウクライナ短編集」を読み、ウクライナ文学の雰囲気に何となく日本文学のそれと近いものを感じ(たった一冊読んだきりの印象ですが)、以来ずっと、懐かしさにも似た親しみを抱いてきました。

そんな中、かねてから好きだった作家エロシェンコがウクライナ文学のカテゴリーに属するという認識を新たにしたことにより、ウクライナ文学への漠然としたこの愛着が、また一歩だけ、確信へと近づいたような気がする――これが僕にとっての「嬉しい発見」なのです。

【「盲目の詩人」エロシェンコについて】

ヴァシーリー・エロシェンコは4歳のときに病が原因で失明し、その後モスクワなどの盲学校で学びました。大正時代初期の1914年に来日し日本語を学び、数年間にわたる滞在中に日本語やエスペラント語(19世紀末頃に創られた人工国際語)で童話や詩などの作品を残しています。

詳しい来歴は割愛しますが、こういった日本との深い結びつきから、ウクライナ人である彼の作品の一部は日本文学に分類されます。宮沢賢治と与謝野晶子の作品と一緒に収録されている、こちらのアンソロジー(選集)が入手しやすいかと思います。

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本書では、エロシェンコの作品が4編収録されています。その一つ、「ある孤独な魂」は、子ども時代のモスクワの盲学校での思い出を描いた自伝的な作品で、エロシェンコを初めて読むという方にもおすすめです。

4編のうちどれか一つ、折を見ておすすめ文学で取り上げようと思いますが、彼の作品はかなり強烈なメッセージ性を持っています。人の心の闇にひそむ醜さ、傲慢、矛盾、偏見など、とりわけ権威主義にまみれた世界では正当化されがちな人間の根源的罪悪を丸裸にして、我々読者にキッパリと突きつけてきます。

人間ってこんなに愚かなんですよ、どうするんですか、と世の理不尽への憤りを淡々とぶつけてくるような、童話とはいえ大人向けの破壊力ある作風なので、ご興味のある方は心してお読みください。

もう一つ、覚書として記しておきますが、エロシェンコの作品は日本文学だけでなく、中国文学の作品集の中にも登場します。

彼は日本を離れた後、上海や北京に滞在し、同じく日本と繋がりの深い作家・魯迅との交流も経ながら創作を続けました。盲目というハンディキャップをものともしない強靭な意志と情熱をもって、彼は自身の文学を、国境を越えて根付かせたのです。

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上記には、エロシェンコの「時のおじいさん」という短編が収録されています。こちらもなかなか強烈です。人間は馬鹿だから、いつも同じ過ちを繰り返す、ということを切実に伝えています。

彼の扱うテーマは、時として人間のあり方を根本から疑うような暗い悲しみを読み手に委ねてしまうかもしれません。しかしそれは、その先にある希望と平和を見出すための通過点として、決して目をそらすべきではないとも思います。

今この時代こそ、彼の作品が広く読まれるべきではないでしょうか。

これからもおすすめ文学では、様々な国の作品を一つでも多くご紹介していければと思います。ウクライナ文学もそうですが、ロシア文学や韓国文学など、未だ一作も取り上げていないジャンルもありますので、改めて蔵書をあれこれ引っぱり出して読み返してみようと思います。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。

 

お医者のランクに恋してる

前々から気になっていたことについて、ぼんやりと考えながら書いてみます。ぼんやりと。

太宰治の短編「愛と美について」の登場人物、ロマンス好きの5人きょうだいの長男が、彼の愛読書である『人形の家』について、ある発見をしたと言って一人で興奮している場面が冒頭にあります。

このごろ人形の家をまた読み返し、重大な発見をして、頗る興奮した。ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、そのところを指摘し、大声叱咤、説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。

出典:太宰治 『新樹の言葉』 新潮文庫,平成20年第29刷
(p.144)

『人形の家』は、ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンHenrik Ibsen, 1828-1906)の代表作ですが、お医者のランク(以下、ドクトル)は本作品で僕の一番好きな登場人物だったこともあり、改めて読み返してみました。

※ここからは作品を読んだことのない方にとってはネタバレを含む内容となりますのでご注意ください(先に関連書籍のAmazonのリンクを載せておきます)。

 

人形の家 (岩波文庫)
(↑竹山道雄訳です(当記事出典は1989年第53刷)。書名をタップ/クリックするとAmazonの商品ページにリンクできます。)

新樹の言葉 (新潮文庫)
(↑太宰治「愛と美について」が収録されている短編集です。書名をタップ/クリックするとAmazonの商品ページにリンクできます。)

 


さて、「ノラがお医者のランクに恋をしていた」という発見ですが、少なくともその逆、つまりドクトルの方が人妻ノラを密かに想い続けていたということについては、作品を読み進めていくうちに明らかとなる事実です。第二幕の真ん中あたりですね。病に冒され余命いくばくもないドクトルの、まさに命がけの愛の告白シーンです。「私の気持ちに気づいていたのですか?」と尋ねるドクトルに対し、ノラは、

知っていたか、知らなかったか、知るもんですか? そんなこと言えることじゃないわ――。でもどうしてあなたが、先生、あんないやな! ああ、何もかも綺麗だったのに!

(p.90)

と狼狽しながら答えます。この台詞から察するに、ノラも「気づいていた」っぽいですね。「何もかも綺麗だった」という言葉からも、彼女の方でもドクトルのことを憎からず想っていたことが読み取れます。この場面からであれば、ノラがランクに恋をしていたと判断するのは、決して突飛なことではないと思います。

表向きは決して結ばれなくても、暗黙の内にお互いの本心を確かめ合えていたはずなのに、それをいまさら言葉に出して、先生、あなたはこれまでの私たちのすべてを汚してしまった。一体どうしてくださるの? こんなことなら、いっそ、どうしてもっと早くに打ち明けてくださらなかったの? ……そんなノラの悲痛な叫びは、僕の勝手な想像です。

でも、これでは大興奮するような「発見」ではないですよね。ここでもう一度、太宰の「愛と美について」の、問題の箇所を振り返ってみます。

ノラが、あのとき恋をしていた。お医者のランクに恋をしていたのだ。それを発見した。弟妹たちを呼び集めて、(・・・)説明に努力したが、徒労であった。弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。

長兄の説明を聞いた弟妹たち――いずれもロマンスには目の肥えた人たちが、誰一人として彼のこの「発見」に同調していない様子。彼の言っている「あのとき」が第二幕の告白シーンのことを指しているとすれば、弟妹たちとしては、そんなの当たり前じゃん、それのどこが発見なの? と内心では失笑しつつ、けれども長兄の手前、角が立たないように適当にあしらっただけなのかもしれません。

それならそれで、この問題はここで解決なのですが、そうではない場合――ノラがドクトルに恋していたと分かる「あのとき」が、長兄いわく第二幕の告白時よりもずっと前のことだったとすると、どうでしょうか。だとすれば、もうここしかないと思うのが物語本筋の8年前、ノラの結婚当初、過労だった夫トルヴァルトのために夫婦ともどもイタリアに静養に行くことを、ドクトル・ランクが勧めた時ではないでしょうか。

わたしたちが結婚したときに、トルヴァルトは司法省をやめました。(・・・)そちらの方面では昇進の見込みもないし、収入は以前よりも増やさなければならなかったのですものね。最初の一年はすっかり過労で、(・・・)それで体を痛めて、病気になって、あやうく死にそうになりましたの。お医者が、これはどうしても南の方に転地させなくてはいけない、と申しましたのよ。

(p.19-20)

イタリア出発までの経緯は、過去の出来事としてノラとリンデ夫人との間でさらっと語られるだけなのですが、当時のノラは第一子を出産したばかりで、不安定な仕事で働き詰めの夫も新妻をほとんど顧みず、彼女は孤独を感じていたのかもしれません。そんな折に、親身になって話を聞いてくれたであろうドクトルに対して恋心が芽生えたとしても、何ら不思議ではありません。

そのノラの気持ちに気づいたドクトルが(彼はトルヴァルトの親友でもあります)、夫婦の未来のために涙をのんで彼女を拒絶するという意思も込めて、いったん夫婦を自分から遠ざけるためにイタリア行きを強く勧めたとすれば、少なくともつじつまは合いそうです。またその時点で既にノラとドクトルは相思相愛の関係だったとも言えるわけです。

これが「愛と美について」の長兄の大発見だとすれば、聞き手の弟妹たちの微妙なリアクションにも頷けそうでしょうか。ちょっと原文を逸脱しているけれど、まあ、あり得ることはあり得るよね…みたいな。そもそもこの作品は女性の自立をテーマに読まれることが多い中で、長兄のこの余りにセンチメンタルな目の付けどころに、同じくロマンスを愛する弟妹たちもさすがに呆れてしまったのかもしれませんね。

なお、ここまで書いておいて何ですが、上記のことは、太宰研究・イプセン研究の世界ではとっくに様々な考察がなされているのかもしれません。僕は作品自体は頑張って読みますが、研究論文や解説・考察等はほとんど読みません。難しくて、なかなか理解できないのです。何も知らずにひとり熱く語っていたとしても、どうかお許しください。

ちなみに太宰治の処女作品集『晩年』の最初に収録されている「葉」でも、ノラが登場します。

ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。

出典:太宰治 『晩年』 新潮文庫,平成10年第103刷
(p.7)

晩年 (新潮文庫)
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ノラって誰? 帰るって、どこに? と疑問に思った方は、ぜひともイプセンの『人形の家』を読んでみてください。

さて、僕もそろそろ帰ります。今回も少々書きすぎました。お読みくださった皆さま、ありがとうございます。

それでは。