二度と出られない?

江戸川乱歩の「お勢登場」という短編で、子どもと一緒に家の中でかくれんぼをしていて、長持の中に隠れたまま出られなくなり窒息死する男の話があります。「長持(ながもち)」とは昔の家具で、衣類や夜具などを収納するためのものです。

人間椅子 江戸川乱歩ベストセレクション(1) (角川ホラー文庫)
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今は実物を見かけることはあまりなくなりましたが、大きいサイズのものだと、どことなく棺桶を思わせる直方体のいかめしい木箱で、件の小説に出てくる長持も、そんな感じのものなのかなと想像しながら読んでいました。

衣類や夜具の間に身体をぎゅうぎゅうに押し込めて、中から蓋を閉めると、暗闇と全身を包むふかふかの感触が、なかなかに居心地よさそうです。しかし、蓋を閉めた時に掛け金がかかってしまいオートロック状態に…内側から開ける術はなく、密閉された空間で酸素の供給が尽き、男は命を落としてしまうのです。

上記はあくまでフィクションですが、昔の子どもは長持の中でかくれんぼしてはいけない、などと親から注意されていたのでしょうか。ちなみに僕自身は、冷蔵庫の中に入って遊んではいけないと言われた世代です。昔の冷蔵庫は、中からは開かない仕組みになっていたようで、小さい頃、特に祖父母から、厳重に言い含められた記憶があります。

参考:冷蔵庫による事故死(Wikipedia)
https://w.wiki/5Esb

ウィキにもあるように、最近の冷蔵庫は内側からも開けられるそうですが、子どもの時分に冷蔵庫の恐怖を叩き込まれている身の上、ことさら気の小さい僕などは、本当に脱出可能か、おそろしくて実験してみる気も起きません。今の子どもたちにも、とにかく危ないから冷蔵庫には入っちゃだめだよと言うと思います。

ホアキン・フェニックス主演の映画『ジョーカー』でも、主人公が自宅の冷蔵庫の中のものを次々と外に放り出し、自ら中に入ってドアを閉めるシーンがありましたよね。冷蔵庫に入ったら二度と出られないと思っていた僕としては、てっきり主人公が自殺したものと思い、その後の展開にひどく混乱したものです。

小心者の話で恐縮でしたが、たとえ内側から開くとしても事故のリスクがゼロになったわけではないと思うので、特に小さなお子さんのいらっしゃるご家庭の皆さまにおかれましては、くれぐれも御注意くださいませ。

それでは。

 

電球と小説

同じ部屋、同じ家具に囲まれながらにして、在宅ワーク、オフでのリラックス、食事、物を書く、等々……その時々の状況に応じた空間で過ごせる工夫をしようと思うと、照明器具をいじるのが手軽のようです。

天井から床までまんべんなく照らすシーリングライト1つに頼るのではなく、部屋のあちこちに小さなランプやら間接照明やらを設置し、光色・明暗などあれこれ調整、あっちを点けこっちを消し、そうして色んな雰囲気のパターンを作り出すのは楽しいです。

電球1つ変えるだけで気分が変わるというのは、確かにそうだと思います。電球で思い浮かぶ小説と言えば、太宰治の短編「燈籠」です(下記、新潮文庫の『きりぎりす』1話目収録)。

きりぎりす (新潮文庫)
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恋人のために盗みをはたらき、社会からも、相手の男からも見放されてしまう若い女性の物語。唯一味方でいてくれる両親と囲む六畳間での夕餉の食卓を、「五十燭」の明るい電球がさびしく、美しく照らす描写が印象的です。

恋人は5つ年下の男子学生。彼が直接的に女性に盗みをさせたわけではないにせよ、彼女の気持ちを慮るなら、彼とてまったく無関係とはいえない中、「どうか、あなたの罪を僕にも背負わせてほしい」と、せめてそう言ってあげてほしかった。

アメリカ文学の名著、ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』もそうですが、世間の明るみの下、女性のみがたった一人で罰を受けていて、「共犯者」である男性は、世間からの糾弾を免れているという状況です。

では、その男が陰で苦しんでいないのかというと、少なくとも『緋文字』ではそうではありません。道義的な問題は別にして、光のあたらない場所で罪の意識をひそかに持ち続けることの方が、その人間にとってより厳しい罰なのかもしれません。

物語のスポットライトがあたることのない「燈籠」の男子学生の行く末はどうなるのでしょうね。部分的にしか照らさない間接照明にこだわっていると、暗くて見えない部分への想像がかきたてられます。

それでは、今日はこれにて失礼いたします。